「地球は青かった」ガガーリンとコマロフのおはなし。
Ahoj!
今日はチェコのご近所、そして歴史的にも昔から深い関わりのある旧ソビエト連邦、ロシアでのお話しについて書きます(・ω・)
日本人にお馴染みの
「地球は青かった」
これは、1961年4月12日人類史上初宇宙飛行を成功させた
ユーリイ・ガガーリン Yurii Alekseyevich Gagarin
(ロシア語: Юрий Алексеевич Гагарин)
の言葉として有名ですね。
まぁ、実際彼の言った言葉はロシア語で
「The sky is dark, the earth is blue」
"空は暗がかったようで、地球は青い"
のような言葉だったようですが。
彼はソビエト連邦の軍人で、人類史初
有人宇宙飛行を成功させた男になったのですが
このエピソードには続きがあって。
実はこの後、彼の親友で同じ軍人の
ウラジーミル・コマロフ Vladimir Mikhaylovich Komarov
(ロシア語: Владимир Михайлович Комаров)
も宇宙飛行を遂げたソ連の軍人のひとりなのですが
ガガーリンの生涯は彼なしには語れないストーリーがありました。
コマロフの初めての宇宙飛行は
1964年10月12日 ボスホート1号というソビエト連邦の宇宙船。
(ボスホートは日本語で 日の出 という意味らしい)
事件はその3年後の1967年
宇宙ビジネスの競争もしていたアメリカに良いところを見せたかったようで
開発時点からトラブルが多すぎて打ち上げられないと開発者たちも打ち上げの中止を具申していたにも関わらず、あの時のソビエト連邦のトップがそんなことに耳を傾けるわけもなく
その問題だらけで、その計画に携わった誰もがこの計画は失敗するとわかっていたまま、そしてたった一人コマロフ本人もそれをわかっていて、自分が乗ると名乗り上げたそうです。
彼は自分が乗らなければ、ガガーリンが乗ることになるとわかっていたから。
そしてロシア革命50周年のためだけに、誰もが失敗することを、乗れば死ぬことをわかっていた未完成の宇宙船ソユーズ1号の打ち上げは遂行されることになったそうです。
打ち上げ当日、記者たちも見守るなかコマロフがソユーズ1号に乗り込む直前に
ガガーリンが突然打ち上げ場に姿を表し彼の宇宙服を着て
俺が行くんだと騒いで聞かなかったそうです。
それを記者たちはそんなに名誉が欲しいのかと思わんばかりに笑って冷ややかな報道をしたと記事にありました。
でも実際は、これから死ぬとわかって宇宙船に乗り込む親友のコマロフをかばいたかった一心で取った行動だったんですね。
コマロフも、自分が行かなければ親友のガガーリンが死ぬとわかっていたので譲らずに、結局そのままコマロフが搭乗することになりました。
結局宇宙へは行ったけれど、わかってはいたけれど
異常ばかりで何一つうまく作動せず
彼は頑張って地球に戻る選択をしましたが
もちろんこれも誰もがわかりきっていたけれどパラシュートも開かず、
彼の宇宙船はそのまま空から地面に激突・炎上し悲劇的な死を遂げました。
彼が地面に衝突する前
トルコにいたアメリカ軍が傍受した無線には彼の最後の言葉が残っていて
「Cursing the people who had put him inside a botched spaceship.」
"にわか拵えの宇宙船に彼を乗せた人々を呪い"
と泣きながら叫んでいたようです。
彼は結果的に、あの時のソビエトに殺されてしまった一人になってしまいました。
コマロフの葬儀で演説するガガーリン
その後ガガーリンも1968年3月27日の飛行訓練中に謎の死を遂げました。
最愛の妻と娘を遺して、まだ34歳でした。
親友コマロフの死と、ソビエトという国と、自分と…
どんな想いを持って
彼の元にいったのかな、なんて2人の生涯を思いふける
まだまだコロナウイルスによる世界パンデミックでロックダウン中のチェコ、プラハにいる
なつおでした。
なつお