FFP2またはN95相当のマスク着用義務化開始
Ahoj!
日本では、コロナウイルスによるパンデミックで着用しなくてはいけないマスクの種類に今のところは特に規制はないですよね。
ヨーロッパは続々と規制がでてきています…
見た目がなんだか牛みたいで🐮(ごめんなさい)
なにアレぇ。って思ってたのですが遂に買うはめに…
理由は
ここチェコでも、木曜日から(2021年2月25日)
FFP2又はN95に相当する基準を満たしたマスクを着用しなければ、公共の場はNGになったからです。
日本の友達にこれを話したら
N95?
FFP2?
なにそれ?なんのはなし?
なんか、SF映画?!🥺
と、マスクの話なのかも知らないくらい日本には馴染みがないようなので軽く説明を…
米国規格の防塵マスクで、米国で定められた一定の規定をクリアしているマスク
(日本の医療でも使われていますね)
・FFP2マスク
ヨーロッパ規格の防塵マスクで、ヨーロッパで定められた一定の規定をクリアしているマスク
ちなみに、日本ではDS2というマスクが、N95やFFP2と同じレベルに該当するマスクのようです。
チェコでは、可愛い布マスクはもちろんNGになりましたが、通常のサージカルマスクも着用するならば二枚重ね以上にしなくてはいけないようです。
FFP2マスク、1枚120円くらいでしょうか。
使い捨てのくせに高いんだよ…(コッソリ)^o^(
ベトナムスーパーに売ってます!
普通のドラッグストアとかスーパーじゃもう手に入らないかもです。
着用した姿を友人に送ったところ
これを連想させるね〜♪と
ペストが大流行した時代に人類がつけていたマスクの絵を送ってきました。
鳥人間の画像送ってきたんだと思った…
他の友達にも送ったところ、みんな私のマスクについてじゃなくて
「その一本だけ残ってるマツエク、こないだやってあげたやつの最後の一本?!あははは🤣」とか
「老けたんじゃない?!」とか
やっぱりみんなマスクには興味ないようでした
なつお
「地球は青かった」ガガーリンとコマロフのおはなし。
Ahoj!
今日はチェコのご近所、そして歴史的にも昔から深い関わりのある旧ソビエト連邦、ロシアでのお話しについて書きます(・ω・)
日本人にお馴染みの
「地球は青かった」
これは、1961年4月12日人類史上初宇宙飛行を成功させた
ユーリイ・ガガーリン Yurii Alekseyevich Gagarin
(ロシア語: Юрий Алексеевич Гагарин)
の言葉として有名ですね。
まぁ、実際彼の言った言葉はロシア語で
「The sky is dark, the earth is blue」
"空は暗がかったようで、地球は青い"
のような言葉だったようですが。
彼はソビエト連邦の軍人で、人類史初
有人宇宙飛行を成功させた男になったのですが
このエピソードには続きがあって。
実はこの後、彼の親友で同じ軍人の
ウラジーミル・コマロフ Vladimir Mikhaylovich Komarov
(ロシア語: Владимир Михайлович Комаров)
も宇宙飛行を遂げたソ連の軍人のひとりなのですが
ガガーリンの生涯は彼なしには語れないストーリーがありました。
コマロフの初めての宇宙飛行は
1964年10月12日 ボスホート1号というソビエト連邦の宇宙船。
(ボスホートは日本語で 日の出 という意味らしい)
事件はその3年後の1967年
宇宙ビジネスの競争もしていたアメリカに良いところを見せたかったようで
開発時点からトラブルが多すぎて打ち上げられないと開発者たちも打ち上げの中止を具申していたにも関わらず、あの時のソビエト連邦のトップがそんなことに耳を傾けるわけもなく
その問題だらけで、その計画に携わった誰もがこの計画は失敗するとわかっていたまま、そしてたった一人コマロフ本人もそれをわかっていて、自分が乗ると名乗り上げたそうです。
彼は自分が乗らなければ、ガガーリンが乗ることになるとわかっていたから。
そしてロシア革命50周年のためだけに、誰もが失敗することを、乗れば死ぬことをわかっていた未完成の宇宙船ソユーズ1号の打ち上げは遂行されることになったそうです。
打ち上げ当日、記者たちも見守るなかコマロフがソユーズ1号に乗り込む直前に
ガガーリンが突然打ち上げ場に姿を表し彼の宇宙服を着て
俺が行くんだと騒いで聞かなかったそうです。
それを記者たちはそんなに名誉が欲しいのかと思わんばかりに笑って冷ややかな報道をしたと記事にありました。
でも実際は、これから死ぬとわかって宇宙船に乗り込む親友のコマロフをかばいたかった一心で取った行動だったんですね。
コマロフも、自分が行かなければ親友のガガーリンが死ぬとわかっていたので譲らずに、結局そのままコマロフが搭乗することになりました。
結局宇宙へは行ったけれど、わかってはいたけれど
異常ばかりで何一つうまく作動せず
彼は頑張って地球に戻る選択をしましたが
もちろんこれも誰もがわかりきっていたけれどパラシュートも開かず、
彼の宇宙船はそのまま空から地面に激突・炎上し悲劇的な死を遂げました。
彼が地面に衝突する前
トルコにいたアメリカ軍が傍受した無線には彼の最後の言葉が残っていて
「Cursing the people who had put him inside a botched spaceship.」
"にわか拵えの宇宙船に彼を乗せた人々を呪い"
と泣きながら叫んでいたようです。
彼は結果的に、あの時のソビエトに殺されてしまった一人になってしまいました。
コマロフの葬儀で演説するガガーリン
その後ガガーリンも1968年3月27日の飛行訓練中に謎の死を遂げました。
最愛の妻と娘を遺して、まだ34歳でした。
親友コマロフの死と、ソビエトという国と、自分と…
どんな想いを持って
彼の元にいったのかな、なんて2人の生涯を思いふける
まだまだコロナウイルスによる世界パンデミックでロックダウン中のチェコ、プラハにいる
なつおでした。
なつお
プラハのメトロノームとスターリンのおはなし。
Ahoj!
レトナ公園という場所があります。
そこにこの世界最大の高さ23mのメトロノームがあります。
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Prague_MetronomePrague Metronome - Wikipedia
美しいプラハの景色を一望できる場所ですが
個人的にメトロノームの両サイドにあるこのデッカい皿?が気になって
一緒に行ったチェコ人の友人に「あれは何?」と聞いたら、
実はまさに、そのメトロノームがある場所は60年前は第二代ソビエト連邦最高指導者ヨシフ・スターリンを称える15.5mの巨大像のあった場所だそう。
スターリンの死後、貧しかった東ヨーロッパ諸国の人々の中で非スターリン化が始まり、この巨大像が取り壊されることになったようです。
この記念碑は、チェコスロバキア共産党の恥だった、ということで
1962年末ごろの取り壊しの際には、800kgもの爆薬を使用したんだそうです。
ちなみに、この記念碑を設計したチェコ人の彫刻家OtakarŠvecは、この記念碑取り壊しの少し前に自殺されたそうです。
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Stalin_Monument_(Prague)
その約30年後の1991年
その場所にこの世界最大級のメトロノームが建ちました。
ちなみにこのメトロノームをデザインしたのはチェコ人のVratislav Novákというアーティスト。
プラハに住んで気が付きましたが、
たいてい、高くて眺めのいい丘にある場所は
チェコスロバキア時代の歴史を辿れるちょっと悲しいストーリーのある場所だということでした。
レトナ公園からの眺め。
なつお
晴れの日雪包みのプラハ
Ahoj!
雪に包まれるプラハの中心街をお散歩してきました。
この日は晴れでしたが、気温はマイナス12度くらいでした。
ちなみにこの日の最低気温は-18°!
東京ではなかなかできなかった体験をしています
(*´∇`*)
なつお
西陽に包まれるモルダウとプラハ
Ahoj!
2020年11月に撮影したものですが
編集して動画にしてみました)^o^(
11月半ばでしたが
この日の気温は16度まで上がりました。